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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)15467号 判決

原告

X1

原告

X2

原告ら訴訟代理人

下光軍二

佐藤公輝

被告

Y

右不在者財産管理人

丙川花子

右訴訟代理人

吉野森三

勝野義孝

伊藤文夫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  訴外Aが昭和四九年八月二一日なした別紙記載内容の遺言は無効であることを確認する。

2  被告は各原告に対しそれぞれ金五〇〇万円と昭和五七年三月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  訴外亡A(以下亡Aという)は、昭和六年○○大学西洋史学科を卒業後、西洋史学者としての研究生活及び後進の指導にあたつてきたものであるが、昭和五〇年一〇月二五日神奈川県秦野市で死亡した。

2  原告X1(以下原告X1という)は、亡Aの妻であり、原告X2(以下原告X2という)は、亡Aの長女であり、いずれも亡Aの相続人である。

3  亡Aは、昭和四九年八月二一日別紙内容の遺言書(以下「本件遺言」という。)を作成した。

4  しかし、右遺言は、亡Aの真意に基づくものではなく無効である。即ち、

被告は、もとホステスをしていたところ、積極的に亡Aに近づき、情交関係をもつに至るや金銭を要求し、その間亡Aは暴力におびやかされ、同人らの関係の暴露におそれおののきながら金銭を提供し、交際を続けてきた。被告は、その要求をのまなければ、グラス、書籍、その他手当り次第に物を投げつけ、亡Aを負傷させ、洋服の下着類を鋏で切つたり、首を締めたりした。亡Aは、被告のこのような所為に恐くなって原告らに電話で助けを求めることもあつた。このような状況下にあつて昭和四六年一月四日、原告X2の立合のもとで確認書を作成し手切金として亡Aが中野区東中野に所有していたマンションを売つてその代金を贈与することにした。しかし、その後も被告は、亡Aに復縁を迫り、亡Aの居住場所の近くに移転して住んだり、再三のいやがらせの電話をしたりした。亡Aは、これらの被告を避けるため、神奈川県秦野市に住居を求めたり、多額の金銭を与えたりしていた。このような中にあつて、被告は亡Aの弱身につけ込んで、原告らと同等の取り分を要求し、遺言書を書くことを強く求め、亡Aは言われるままに書いたもので、このことは、本件遺言書の文字が判読できない程に乱筆で、妻の名を間違いたり、肩書住所の地番を間違いたりしているのに訂正もなく、誤字脱字も多く、その形態からしてためし書きか、または、やけくそに書いたものとしかいいようのないものであることからも明らかで、これらの事実を総合すれば、亡Aの本件遺言は単なる男女間の戯れとして、または、草稿のようなつもりでなされたにすぎず、とうてい真意に基づいたものといえず、何らの法的効力をもつものではない。

5  仮に、真意に基づく遺言であつたとしても、亡Aが本件遺言書を作成したのは、当時被告が右のように亡Aの弱身につけ込み、もしその作成に応じなければ同人の身体、名誉、信用に危害を加えかねない気勢を示して亡Aを脅して畏怖させ、これを作成せしめたものである。よつて、亡Aの地位を承継した原告らは、本訴状をもつて右遺言を取消す旨の意思表示をし、右訴状は、昭和五七年三月九日被告に到達した。

6  また、仮に、真意に基づく遺言であつたとしても、本件遺言の内容は、従前の亡Aと被告の関係を前提にしても被告に与える分は不相当に高額であり、永い間の共同生活や内助の功などに深い感謝の気持をもつてなされたものということはできず、単に不倫な関係の維持継続のためにのみなされたものであり、公序良俗に反するもので無効である。

7  原告らは、被告の前記行為により原告X1の婦権や原告X2の父母を基調とする家庭の平和をともに侵害され、また、度重なる亡Aに対するいやがらせ、執ような電話等によつて不眠、食欲不振、ひいては精神的、肉体的苦痛を与えられ、更には本件遺言によつて遺産の分割を求められ更に心痛を増大させられている。これら被告の行為は民法七〇九条の不法行為に該当し、原告らに対して慰藉料を支払うべき義務があるところ、原告らの右苦痛を慰藉するにはそれぞれ金五〇〇万円が相当である。

8  よつて、原告らは本件遺言が無効であることの確認を求めるとともに被告に対し、各原告にそれぞれ金五〇〇万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五七年三月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実は認める。

2  同4ないし6の事実は否認し、その主張は争う。

3  同7の事実は否認しその主張は争う。

三  抗弁(慰藉料請求に対して)

仮に、原告X1の婦権侵害であつたとしても、亡Aが昭和五〇年一〇月二五日死亡によつて右侵害行為は終了し、右事実を充分知悉している原告らにおいて、右時点から三年内に申立をしておらず、したがつて原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権は時効により消滅した。被告は、本訴において右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認し、その主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  被告は、昭和四一年春ころ、当時○○大学教養学部の教授をしていた亡Aと知人の紹介で知り合つたが、その時は食事をしながら話しただけであつた。その後同人らは全く交際がなかつたが、昭和四二年二月ころ、被告の方から亡Aに電話したところ亡Aから食事に誘われ、以後同人らの間で交際が続くようになり、そのうち情交関係を持つようになつた。

そして、昭和四四年九月ころからは、亡Aが所有していた中野区東中野町〇丁目所在の○○○○○レジデンス○○○号において同棲するようになつた。

ところで、亡Aは、昭和二二年七月一日原告X1と婚姻していたが、昭和四〇年ころからは亡Aと原告X1はそれぞれ別々に生活するようになり、原告X1は、静岡県伊東市の○○マンションに、亡Aは都内に住むようになつた。

亡Aは、被告と交際後、昭和四三年ころ、自ら出版した書籍の出版記念パーティに被告を同伴して出席し、原告X1もこの時から同人らの交際を知るようになつた。また、亡Aは、その後も原告X1の住む○○マンションに被告を連れて行き、宿泊させたこともあつた。

2  亡Aと被告の交際は、亡Aが死亡する昭和五〇年一〇月ころまで続いていたが、この間、亡Aと被告の間で喧嘩や別れ話なども時々あり、また、亡Aと被告との間で金銭的な取り決めもなされたことがあつた。

昭和四五年一月二七日両者の間で、亡Aが被告に毎月一〇万円を支給し、更に亡Aは被告名義で定額預金又は債券一〇〇万円を積立てることなどを約した協約事項書(乙第二号証の一、二)を作成した。

同年六月一八日には、亡Aが被告の姉妹らに援助する旨約した書面(甲第六号証)が作成された。

昭和四五年一〇月ころから昭和四六年一月初めころまでの間亡Aと被告との間で争いや別れ話が持ち上がり、両者の間で財産的な問題で種々やりとりがあり、昭和四六年一月四日原告X1の立合のもとで、亡Aは、中野区東中野の前記○○○○○レジデンス○○○号の売却代金を被告に全額提供すること、その後は亡A及び被告は独立生計を営み、互いに迷惑、負担をかけず、干渉しないことを約束することなどをその内容とする確認書(乙第二号証の三)が作成され、その後しばらく両者の交際は止んだ。しかし、その後間もなく亡Aと被告の交際は復活し、被告は、同年二月ころから亡Aの住む家の近くの渋谷区富ヶ谷の○○○グランドハイツに移り住むなどしたが、これを知つた原告X2と被告の間で口論があつたりしたことから同年一二月ころそこを引越して、亡Aが賃借した世田谷区経堂所在の○○○○○ビルに移り、亡Aもそこに同居したりして両者の関係は継続した。昭和四八年ころ、亡Aは、渋谷区神山町○○番○号に完成した○○ハイツに移り住み、昭和四九年五月からは被告も品川区上大崎所在の賃貸マンション○○○ビルを賃借りし、そこに住むようになつた。なお、右マンションを賃借りするについては亡Aも被告に同行し、被告の伯父と称して契約に立合つた。そして、右マンションにも時々亡Aが来訪し、被告との関係を続けていた。

この間にも、被告は、亡Aから昭和四六年四月二三日前記○○レジデンスの売却代金の内金として金三〇〇万円を受け取り、また、昭和四八年一二月一四日には金三〇〇万円の贈与を受けている。

3  このような状況の中にあつて、昭和四九年八月二一日、亡Aは、当時被告の住んでいた前記○○○ビルに来訪した際、急に遺言書を書くからといつて被告に用紙をよこすように言い、被告が適当な用紙がないなどというと近くにあつたノートを切り取つて遺言書を作成した。作成後、亡Aは、将来安心して生活できるだろうなどと述べながら被告にその遺言書を手交し、被告がそのまま引き出しに入れたところ、亡Aは、被告の銀行の金庫に入れておくように助言し、被告は言われるまま自分の銀行の金庫に預かつてもらつた。その後、被告は、遺言書のことについてはさほど気にもとめずに、亡Aとの交際を継続してきたが、昭和五〇年一〇月二五日亡Aは死亡した。

4  亡Aと被告との関係の継続は原告らにおいてもこれを十分知つていたことであり、亡Aは被告を敬老の日記念旅行などにも同伴し、昭和五〇年ころには亡Aの設立した歴史研究所の評議委員をしていた清水勝太郎と食事を共にする際にも被告を同伴し、あるいは亡A、被告、原告X1らで一諸ママに旅行するなどなかば公然のことであつた。

5  亡Aは、身長一八三センチメートル、体重六、七〇キログラムで、その体格は堂々としており、その性格は豪放磊落で、かつ活動的であり、遺言書作成時は健康であつた。

以上の事実が認められ〈る。〉

右認定事実によれば、亡Aと被告は、昭和四二年二月ころから亡Aの家族あるいはその他周辺の人々にもなかば公然とその関係を継続してきたものであり、この間両者の間には喧嘩、口論、別れ話などもあつたが、それは一時的なものであり、亡Aが死亡するまで約七年間、いわば内縁的関係にあつたものということができ、こうしたなかにあつて、前記認定の経過で遺言書が作成されたものである。

三原告らは、本件遺言は、単なる男女間の戯れとして、または、草稿のようなつもりで作成されたにすぎず、とうてい真意に基づいたものとはいえない旨主張するが、前記認定の亡Aと被告の間柄、遺言書作成前後の事情、本件遺言書の形体に照らすといまだこれを認めることはできず、原告らのこの点に関する主張は採用できない。

確かに、本件遺言書の字体がやや乱れ、誤字もあることが認められるが、これをもつて直ちに本件遺言が亡Aの真意に基づかないものと断定することは困難である。

次に、原告らは、亡Aは被告の強迫によつて右遺言を作成したものと主張するので判断するに、前記認定事実によれば、亡Aと被告との間で、喧嘩、別れ話などがあり、前掲各証拠によれば、その際に、被告において亡Aに物を投げるなどの暴行のあつたことも認められないわけではなく、また、遺言書作成までの間に金銭の授受、またはこれらを約した書面なども存し、あるいは時に被告において亡Aに金銭の交付を要求するようなことがあつたものと推認できなくはない。しかし、これが、いずれも被告の強迫行為であり、かつ、亡Aにおいていずれも畏怖した結果なされたものと認めることは困難であり、加えて、本件遺言書作成時、または、そのころにおいて両者の関係は平穏に推移していたものと認められ、被告の強迫行為があつたことは本件全証拠によつてもこれを認めるに足らず、また、遺言書作成後も両者の関係が持続していることなどを考慮すると原告らの右主張はとうてい採用することができず、原告ら各本人尋問の結果中これにそう供述部分はいずれもこれを措信できない。

したがつて、原告らのこの点に関する主張はその余を判断するまでもなく失当である。

四進んで、本件遺言は、単に不倫な関係を維持継続するためにのみなされたもので公序良俗に反し無効である旨の原告らの主張について検討する。

前記認定事実によれば、亡Aは妻である原告X1があつたにもかかわらず、被告と昭和四二年二月ころから本件遺言後亡Aの死亡時まで同棲または半同棲のような形で不倫な関係を継続したものというべきであるが、この間昭和四六年一月ころ一時両者の関係を清算しようという動きがあつたものの、間もなく両者の関係は復活し、その後も決定的な別れもなく継続して交際していること、亡Aには被告のほかこのような付き合いをしている女性があつたと窺うことはできず、また、亡Aと被告の関係は早期の時点で家族にも公然となつていたこと、他方亡Aと原告X1間の夫婦関係は昭和四〇年ころからすでに別々に生活するなどその交流は希薄となり、夫婦としての実体はある程度喪失していたものとみられること、遺言の作成前後において両者の関係の親密度が特段増減したという事情もないこと、本件遺言の内容は、原告X1、同X2及び被告に全遺産の三分の一づつをそれぞれ遺贈するというものであり、昭和四九年八月当時の民法の定める妻の法定相続分が三分の一であつたこと、原告X2はすでに嫁いでおり、高等学校の講師などをしていることなどを考慮すると右遺言の内容は原告X1、同X2の寄与あるいはその立場を無視したものともいえず、また、その生活の基盤をも脅やかすものであるともいえないこと、その他本件にあらわれた諸事情を総合すると亡Aが被告との不倫な関係を維持継続させるため、あえて本件遺言において被告に遺贈を行なう必要性もなく、本件遺言が不倫な関係の維持継続を目的としてなされたものとみることはできないところであり、むしろ、その主目的は被告の将来の生活が困らないようにとの配慮に出たものであることが認められ、被告に対する財産的利益の供与も必ずしもこれが社会通念上著しく相当性を欠くものともいえない。そうだとすれば、本件遺言が民法九〇条に違反し無効と解すべきではなく、したがつて、原告らの右主張は採用できない。

五かくして、原告らの本件遺言が無効である旨の主張はいずれも理由がないこと明らかであるから、本訴請求中、本件遺言が無効であることの確認を求める部分は失当として棄却を免れない。

六ところで、原告らは被告に対して不法行為に基づき慰藉料の支払を求めるので検討するに、被告が亡Aと不倫な関係があつたことは上来説示したとおりであり、また前示のとおり、亡Aと原告X1の夫婦関係は、昭和四〇年ころにはすでに夫婦としての実体もある程度失なわれ、むしろ、原告X1の本人尋問の結果によれば、原告X1は亡Aの対被告との関係には関心を示していなかつたことが窺われるところであるが、かといつて、原告X1において、亡Aと被告の関係を全く宥恕していたものとも認められず、また、その夫婦関係も全く破綻していたともいえないところであるから、被告が亡Aと不倫な関係を継続したことは一応原告X1の妻たる権利を侵害しているものというべきである。ところで、原告X2もそれによつて精神的苦痛を被り、被告の右行為は、原告X2に対しても不法行為を構成すると主張するが、原告X2の被侵害利益が明らかでないところ、被告が亡Aと関係を継続したことが直ちに原告X1に対する不法行為を構成すると解することはとうてい困難である。

被告は、これに対し、抗弁として消滅時効を援用するので検討するに、亡Aは昭和五〇年一〇月二五日死亡したところ、その死亡により、被告の侵害は止んだものと解され、かつ、前示のとおり原告X1において、当時亡Aと被告の関係を知悉していたのであるから、亡Aの死亡後三年以上経過した後においては、損害賠償請求権は時効によつて消滅したものというべきであり、本件においては、この点に関する被告の抗弁は理由があるといわなければならない。

また、原告らは、右のほか、被告の度重なる亡Aに対するいやがらせ、執ような電話等によつて不眠、食欲不振ひいては精神的苦痛を与えられた旨主張し、原告ら各本人尋問の結果中にはこれにそう供述部分があるがこれをにわかに措信し難く、他に本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。そして、被告の本件遺言に基づく遺産の分割の請求は、これが無効とはいえない本件にあつては不法行為を構成しないこと明らかである。

以上要するに、原告らの慰藉料請求は、いずれも理由がなく失当である。

七よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条本文を適用して、主文のとおり判決する。 (高野芳久)

遺言書〈省略〉

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